スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



( --.--.-- ) ( スポンサー広告 )
「美丘」石田衣良
「美丘」 石田衣良


冒頭のナルシシズムにあふれた語りに若干ひいてしまったのだけど
そういいつつもキャラクターの魅力に一気に最後まで読み進む。



ガンを告知された人が、桜を見ると告知される前とは違って見える。
それが「知る」ということ…
とは養老猛司の本に出てきた言葉だったかな。


ヒロインの美丘は人よりも少しだけ“目覚めて”いる。
だからこそ一瞬一瞬を後悔の無いよう精一杯生きる。



ここから先は若干、内容を予測させることを書きますのでお気をつけを。


大学のとき、応用倫理学という授業をとっていて
そこで筋萎縮性側索硬化症(ALS)にかかった「スー・ロドリゲス」という
女性のドキュメンタリーを見た。

日増しに体の自由が利かなくなっていくスー。彼女は自分の意識がはっきりしているうちに「尊厳ある死」を迎えたい、と思い医師による自殺幇助を合法のもとに遂行できるよう法廷で戦った。

いつも明るく笑顔を絶やさず、メイクもきっちりしていてじき死に行く人間の悲壮感は感じさせない。彼女のように聡明で美しい女性が自らの死を選び取りたいと思うのは至極当然のことかと思う。

裁判ではわずか一票の差でスーが敗れた。
医師が患者の死を助長することは認められなかった。



これから先自分が自分でないものになってゆくことがわかっていて、そうなる前に安らかに死にたいと思うのはまちがっているのだろうか。
そんな人を楽にしてあげることはいったい罪なのだろうか。


1994年2月12日、彼女は医師の幇助により静かに息を引き取った。
スーは既にこの世にいない。



ビデオの中で彼女が言っていた、

「これから先自分が重ねることの出来ない年を重ねた老人たちを見ると羨ましくてたまらなかった」という言葉が印象に残る。
私も当然年を重ね老人になるものだと思っていたが、必ずしもなれるとは限らないということに気づき愕然とする。

自分の死期を知らされながら死が近づくのを待つのと、思いもかけずに突然死ぬのとではどっちが幸福なのだろうか?

前者は死の恐怖と戦わなければならないが悔いのない様質の高い余生を送ることもできる。後者は死の迫る恐怖はないが人生に残った悔いはどうすることもできない。
目覚めたあとの世界がどんなに残酷でそしてどんなに美しいことか!


平凡な日常が永遠に続くなんてことはない、ってこと
気づいているはずなんだけど、気づいてはまた忘れていくなあ、私は。
関連記事



( 2008.03.11 ) ( よもやま ) ( COMMENT:0 ) ( EDIT )
[tag] Book
コメント

コメントする?












 秘密コメント

トラックバック
トラックバックURL
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。